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沖縄 観光に使える延伸ゆいレール全駅降りてみた 

2019年も残りわずか。10月1日に4駅延伸されたゆいレール全駅を観光にどう活用できるか確認するため、クリスマスイブの24日に巡ってきました。

ゆいレールはこれまで那覇空港から首里間でしたが、石嶺、経塚、浦添前田、てだこ浦西駅の4キロが追加されました。



延伸を知ったのは昨年3月、バスで浦添ようどれを訪れた際、偶然、前田高地から工事中のレールが見えたからです。その時の写真はこちら。


まずは石嶺駅で下車。住宅街が、ゆいレールの両脇に広がる地域で、お店もちらほら。


ここで目指すは、那覇3大まんじゅうの一つ、ぎぼまんじゅう。元々は儀保駅近くにあった老舗で、食紅で「の」と書かれたつぶあんまん1個160円が人気です。「の」は熨斗を意味し、首里周辺では卒業式や冠婚葬祭などの祝い事に供されるそうです。2つ買いましたが、大きめのあんまんサイズで、1個でお腹いっぱいになりました。のまんじゅうは、以前、他の店でも食べたことがあり、ぱさぱさした印象だったのですが、蒸したてで月桃の香りがする、この店のは格別でした。


場所は、駅を進行方向左側におりて、首里方面に戻り、のぼりの出ている道を右手に曲がり数十メートル進んだ左側で5分足らずです。この間にサーターアンダギー専門店、焼き菓子のJImmy‘s、ケーキのアロハ洋菓子店(道路反対側)があり、スイーツ天国な駅になっています。



次は経塚駅。「塚」の名前通り、墓に囲まれてます。ホーム右手には墓地が迫り、前方の前田トンネル上には、玉城朝薫の墓地があります。玉城朝薫は、17~18世紀の琉球の踊奉行で、組踊の創始者。歌とせりふと踊りからなる組踊は清朝の冊封使をもてなすために上演されたそうです。寂しい場所ですが、立派なお墓でした。



続いては、もっとも観光に活用できそうな浦添前田駅。駅の手前で大きく右にカーブ、前方に、激戦の地・前田高地が見えます。開業しているのになぜか、進行方向左側への出口が工事中のため、反対側におりて、やや遠回り。カーブする丁字路をレールと反対方向に歩くと、浦添署、エネオスがあり、その先に浦添大公園の南口エントランスがあります。漆器が充実している浦添市美術館まで1キロの道路標示も見えました。浦添大公園はその名に恥じぬ大公園で、高台に築かれた浦添城跡や王墓ようどれがあるほか、メルギブソンの映画「ハクソーリッジ」の舞台となった日米激戦の地前田高地まで続きます。


南エントランス脇から坂道を上ると、浦添城の石畳道が見えてきます。さらに歩を進め右手の頂上が前田高地です。ここまで駅から15分ほど。結構登りがきついので両足こむら返りになりました。


アメリカ人観光客の姿が目につきます。高台を左手に下っていくと、浦添城跡やようどれに続きますが、今回はこむら返りのため行きませんでした。
つぎの写真2枚は昨年3月撮影したものです


なんとか、だましだまし歩いて駅へ戻り、最後のてだこ浦西駅へ。
さらなる延伸も検討しているそうですが、採算を考えるとかなり難しそうですね


ここは那覇市内の渋滞緩和のため、パーク&ライドの拠点の位置づけらしく、駅周辺には何もありませんでした。アリーナ建設が予定されていたそうですが、2月に計画を断念、イオンのショッピングセンターやホテルなどに変更されたそうで、数年後には、街並みが変わるかもしれません。


延伸各駅に降りてみて、観光に使えると思ったのは浦添前田だけでした。
浦添城跡は首里に首都が移されるまでの中山王城で、ようどれには琉球王国初期の王墓が残ります。もっと多くの観光客に足を運んでほしい場所です。琉球新報の過去記事によれば、世界遺産推薦の際に構成資産から外された理由は「当時、浦添グスクは土地の買い上げ中だった。沖縄戦で徹底的に破壊されたことも大きい」(安里進県立博物館長)とのことですが、琉球王国の歴史を考えれば、世界遺産に含まれていないのがおかしい、貴重な史跡です。首里城正殿消失はとても、残念ですが、この時期だからこそ、積極的に浦添城跡をPRして誘客すべき場所だと改めて感じました。